「酪農の自然な景色を描きたい。放牧酪農をつらぬく山本牧場で「牛飼い」の原点を学ぶ!
北海道で暮らしていると、「MILK LAND Hokkaido」という可愛らしいロゴマークを商品パッケージなどでよく目にします。ホクレン農業協同組合連合会が掲げるこのキャッチフレーズの通り、北海道は全国の生乳生産量の半分以上を担う酪農王国。なかでも根室・釧路地方と宗谷地方には、牧草地が延々と連なる大酪農地帯が広がっています。
神奈川県出身の私にとって、牧場といえば青々とした草地に気持ちよく牛が放たれているイメージ。ところが道東に暮らしてみると、牧草が勢いよく育っている時期はわずか3か月程度で、枯れ草か雪の世界のほうがずっと長く続くという当たり前のことに気づきました。草のない季節の牛たちは、すべての栄養を夏の間に収穫した牧草の干し草や、トウモロコシ・大麦などで作る配合飼料から得ています。
じつは放牧主体で飼育している農家は全体の5〜10%と少数派。牛舎でのつなぎ飼いや、フリーストール(牛が自由に歩き回れる牛舎)での飼育が約90%を占めています。それぞれに利点と欠点があり、どんな飼い方を選ぶかは農家ごとの事情や考え方で異なるのです。
今回ご紹介するのは、根室管内の中標津町・養老牛(ようろううし)で「完全放牧」の酪農業を営む山本牧場。オーナーの山本照二さんは牧場を開いた当初から22年間、まっすぐに放牧酪農の道を歩んできた方です。これまで家族だけでこなしてきた牛舎の仕事に新たな人材を求めているということで、真冬のある日、その牧場を訪ねました。
<こんな人におすすめ>
・北海道で暮らしてみたい人
・家族で自然の多い場所へ移住したいと考えている人
・有機農業に関心のある人
・将来、牧場を開業したい人
・農業に限らず特殊なスキルを持っている人
<会社概要>
▼所在地
北海道標津郡中標津町養老牛200-2
▼事業内容
・酪農業
・製造業(牛乳、ソフトクリーム)
▼公式ウェブサイト
https://wildmilk.jp
<募集概要>
内容:牛舎での清掃、搾乳、給餌、分娩介助など牛の世話全般に携わる男性1名を募集
(未経験者可、経験者優遇)
給与:月給25万円(1年以上の経験者27万円)
※昇給有り、ボーナス年2回(経営状況など踏まえ支給)
休日:週1回+有給休暇
労働時間:1日4〜8時間で変動
福利厚生:雇用保険、厚生年金加入
住居:牧場内一戸建に居住可能(一部の部屋は牧場備品置き場として使用)
※修繕積立金として月額1万2000円必要。水道光熱費本人負担
※妻帯者、家族での移住歓迎。パートナーのパートタイム労働も紹介可能
▼目次
北海道で暮らしたい!ここでやるなら酪農だ
放牧酪農なら配合飼料を与えずに済む、そしておいしい牛乳をつくれる
失敗から始まった牧場経営。牛にも自分にも訪れた変化とは?
地域とのつながりに助けられ、放牧牛乳を全国へ
労働時間が短いから「半X」も並行してできる
喜びあり、涙あり、奇跡あり。命と向き合う現場
新しいことに挑戦するための仲間がほしい!
何日も続いた吹雪と強風がようやく収まり、あちこちで通行止めが解除されたこの日。大雪が積もってほとんど歩く場所がなくなった山本牧場の一角で、牛たちは身を寄せ合っていました。
「一応、風除けに牧草ロールを置いているんですけどね。放牧なので、悪天候でも基本的にずっと外にいます」。吹雪の間、牛たちはどんなふうに過ごしていたんですか?という問いかけに、山本さんはそう答えます。膝まで埋もれながら雪をかきわけ牛たちのそばへ近寄ると、白と黒のまだら模様のいわゆるホルスタイン種、薄茶色のジャージー種、そのどちらにも見えない牛など、色も大きさも異なる牛たちが同じパドックの中で過ごしているのが見て取れました。なかには可愛い仔牛の姿も。
「今は全部で39頭を飼育しています。そのうち2頭がオスで、あとはメスと仔牛。乾乳牛を除くと実際に乳を絞れるのは19頭かな」。乾乳とは出産後に約10ヶ月の搾乳期間を過ごしたあと、次の出産に備えて2〜3ヶ月の休養を取っている牛のことです。
北海道庁のデータ(※)によると、道内の酪農牧場1戸当たりの飼育頭数は平均140頭、うち搾乳牛は約74頭。この数字には家族経営以外の大規模牧場も含まれているとはいえ、比較すると3割に満たない規模です。
一般的には人工授精で妊娠を管理しているため、雄牛が群れに交じって過ごしているというのは非常にめずらしい光景。交配を自然のなりゆきに任せているそうです。
それだけでなく、母牛と分けて育てるのが一般的な仔牛も群れの中で自由に過ごし、お腹いっぱいお乳を飲んでいるではありませんか!
雌牛、雄牛、仔牛が一緒に過ごしているこんな自然体の風景を、道東に移住して8年が経つ私は初めて目にしました。
※「北海道の酪農・畜産をめぐる情勢」令和3年1月/北海道農政部生産振興局畜産振興課
「だって、それが自然でしょう。仔牛を一緒にすると人間がもらう乳量は当然減っちゃうけど、牛にとって良いことはたくさんある。よく分娩後に母牛が倒れたり、死んでしまったりということがあるんですが、それも減ったような気がします。多分、モチベーションの違いなのかな。授乳することで母牛は愛情深くなって、自分の仔をなんとか育てなくちゃと強くなる。よく幸福ホルモンといわれるセロトニンやオキシトシンなんかも分泌されて、それが牛乳の味を良くすると言う人もいます」
自然な牛乳をつくりたい、その一点でこれまでやってきているから。まるでなんでもないことのように話す山本さんの「牛飼い」としてのあり方は、どのように形作られてきたのでしょうか。
北海道で暮らしたい!ここでやるなら酪農だ
山本さんが生まれ育ったのは東京都新宿区。山登りや自然の中で過ごすのが好きだったこともあり、北海道へは高校生の頃から訪れていました。旭川の大学に進学し、卒業後は大学生協の仕事に就くため一旦は東京に戻ります。その頃知り合った妻の尚子さんと結婚し子供が生まれてからも、北海道旅行は家族で楽しんでいたそう。そのうち「こっちに住もうか」と考えるようになったといいます。
30歳を過ぎたころから、仕事で出会う「ものづくり」に携わる人々のクリエイティビティに共感を抱くようになり、流通の流れでいえば「川上のつくり手」になりたいという思いが湧き上がります。
「北海道でつくり手といえば、農業かなと。バイク乗りが集まる開陽台に来てから僕は中標津が一番好きな町になっていたから、主幹産業の酪農なら人を受け入れる土壌もありそうだと考え、役場に直接問い合わせを入れたんです」
35歳でそれまでの仕事を辞め、36歳の時に家族で北海道に移住。研修牧場や農家での3年間の研修のあと、ついにこの養老牛に入植を果たしました。自然の豊かさと静けさ、そして養老牛温泉が気に入り、たまたま土地があいたのも重なって、この地で酪農をしようと心に決めたのです。
放牧酪農なら配合飼料を与えずに済む、そしておいしい牛乳をつくれる
草だけを食べさせる「グラスフェド」という言葉が認知されてきた今でこそ、放牧酪農も注目されることが多くなってきましたが、当時も今も少数派であることに変わりはありません。けれど山本さんは牧場経営を始めた当初から、やるなら放牧酪農と決めていたそうです。
「その当時の酪農では、動物由来のタンパク質を配合飼料に混ぜて与えることも行われていました。草食動物の牛に対して果たしてこの餌は正しいんだろうか?となんとなく感じていたんです。そんな時、BSEが国内で発生した。飼料にしても、年間何トンの生乳を搾ろうという数字が先にあって、それに見合った配合飼料を飼料メーカーに自動計算してもらって、その通りの飼料を作ってもらい買って食べさせる。それって、自分が選ぶ餌に責任を持っていないような気がして。それがあの病気につながったのかな、と思いました。このやり方は自分には合ってない。やりたくない。だから、その対極にある放牧酪農を選ぶことにしたんです」
山本さんが共感を抱いた「川上のつくり手」たちは、ものづくりへの誇りや志を持っていたはずです。放牧酪農にはマニュアルもなく楽な道ではありませんが、山本さんの気持ちは自然と固まっていきました。そこに至った理由には、研修期間中に実際の放牧酪農を目にしたことも大きいと言います。
「当時、放牧酪農のカリスマ的な方が中標津で実践していたんです。研修2年目の終わりごろから暇があればいろんな農家を見て回ったんですが、放牧なら配合飼料を与えずに済むのかな、やってみようかな、という気持ちになった。なにより、その牧場の牛乳が一番おいしかったんですよね」
失敗から始まった牧場経営。牛にも自分にも訪れた変化とは?
志を持って放牧酪農を始めた山本さんですが、当初は「全然うまくいかなかった」そうです。新規就農時に仕入れた45頭の牛のうち、最初の年に5頭を失ってしまったのです。就農時はすぐに搾乳を始められるよう、初妊牛(分娩まで2ヶ月前後の未経産牛)を買い付けるのが通例。
「始めたのが12月だったので、ほとんどの分娩が1月と2月になりました。今思えばなにも考えていなかった。冷暖房のきいた牛舎で育った牛をいきなり真冬の外に放して、厳冬期に子供を産ませるなんて、本当に危ないことなんです。凍傷にかかってしまった牛も10頭くらいいました。完全放牧への憧れとイメージだけで自分勝手なことをして、牛のことを考えていなかったとその時やっとわかったんです」
そんな失敗もあり、牛たちを理想の酪農の形に少しずつ慣れさせる期間が必要だと考えた山本さん。配合飼料も1日8キロ与えるところから始めて毎年1キロずつ減らしていき、8年間をかけてついにゼロに───つまり草だけを食べて生きる本来の牛の暮らしに戻していきました。そのなかで、牛だけでなく人間にも大きな変化が起こります。
「牛については病気の質が変わり、高脂質の配合飼料による内臓疾患がほぼなくなった代わりに、放牧中の骨折や腰骨の欠損など外科的な問題は増えました。人間側では経済が全く変わった。配合飼料を完全にやめた途端、乳量が大幅に減ってしまい、初年度に4500万円ほどあった売上は3分の1ほどになりました。さまざまな経費を考え直しながら対応してきたという感じです」
そんななかで決意したのが、自ら牛乳を製造して自ら売るという6次産業化です。
地域とのつながりに助けられ、放牧牛乳を全国へ
「もともと実家は商売をしていたし、僕も大学生協で流通業界に携わっていたので、販売すること自体は楽しいし商売の経験を活かせるかなと思っていました。それに、何かを自分でつくりたいという当初からの思いがあったから」
約2000万円をかけて牛乳工場を作った際、大きな支えとなったのが養老牛温泉の宿の存在でした。地域の産品をお客さんに楽しんでもらいたいという宿の思いから、「牛乳を作るなら買いたい」という申し出があったのです。当時は4軒の温泉宿があり、映画の撮影で宿泊する俳優や監督からも好評を得て、口コミでそのおいしさが広まりました。工場稼働から2年後の2011年には北海道庁による「北のハイグレード食品」に選出。それからは都内など本州との取引も飛躍的に増え、「養老牛放牧牛乳」の名が全国に知れ渡りました。
山本牧場の牛乳は、農薬や化学肥料を使わずに育つ草だけを食べた牛の生乳からつくられています。おいしさを損なわない低温殺菌、さらに脂肪分の均一化処理「ホモジナイズド」をしていないノンホモ牛乳のため、製造から時間が経つにつれ表面に脂肪分の高い層が現れます。そのクリーム状の層をすくって食べたり、クロテッドクリームのようにスコーンにつけて食べたりするのも楽しみ方の1つ。季節などによって味わいは変わりますが、風味の濃さと甘み、爽やかな草原のような香りがあり、すっきりと飲める素直な味わいです。
これまで牛舎の仕事はずっと家族だけでこなしてきた山本さんですが、今回、このおいしい牛乳をつくり続けるための仲間を牧場史上初めて募集するとのこと。放牧酪農の現場では、どんな仕事が待っているのでしょうか。
労働時間が短いから「半X」も並行してできる
「じつは今、牛舎の仕事はほとんどうちのせがれがワンオペでこなしているんです」。完全放牧で頭数も少ない山本牧場では一般の農家ほど仕事が多くはなく、1人でこなせるくらいなのだそう。労働時間は季節やその日により異なりますが、4時間から長くても8時間ほど。従業員を募集するのは、ずっと牛舎を任せていた息子さんに工場の仕事も覚えてもらいたいという事情があります。もちろん、新人には仕事を任せられるようになるまで丁寧に教えてくれるのでご安心を。
1日のスケジュール
5:45 牛舎に出勤し、前日の夕方に搾乳した生乳を工場に運搬
7:00 牛舎の掃除後、牛を牛舎に入れて健康チェック→搾乳→牛を放牧
草のない時期は牧草ロールを外に運搬
9:00 一旦終了
※牧草が生えてくる直前の2〜3週間は牧草地の整備が2〜3時間あり
16:30 牛を牛舎に入れて健康チェック→搾乳→牛を放牧
18:30 終了
乳量は季節によって変化するため搾乳にかかる時間も変わりますが、おおかた上記のようなスケジュールで進行します。
「うちは副業もOK。労働時間が平均6時間もないと思うから、むしろ副業や自分の特技を活かして地域とつながりを持ってもらえたらうれしいですね。半農半X(エックス)ってよくいわれるけど、それって僕は理想だと思うし、半Xを持っている人がこの地域に来たほうがおもしろくなる」
日中の空き時間を使って、どんどん好きなことをやってもらいたいと山本さん。基本的に住み込みを想定しているため、敷地内の空き家に暮らすことができるそうです。「夫婦や家族での移住も大歓迎です。将来、自分の牧場を持ちたいならそれも応援したい」。牧場立ち上げの理想的な形についてはなにもわからずスタートした山本さんは、ご自身の経験から、将来的に牧場を始めたい人にはそのサポートもしたいと考えています。
牧場の入口にはコンテナを再利用したソフトクリーム店「ミルクレーム」もあり、パートナーがその店や牛乳工場でパートタイムとして働くことも可能です。
喜びあり、涙あり、奇跡あり。命と向き合う現場
もう1つ、重要な仕事に冬場の分娩の介助があります。夏場は放牧地で自由に出産しますが、冬場は仔牛の安全のため分娩を牛舎で見守ります。年間6〜7頭は牛舎での分娩となり、その際は介助が深夜になることもあるそうです。命を扱う酪農ですから、その瞬間はむしろ醍醐味ともいえます。
喜びもあれば、つらい場面や不思議な奇跡が訪れることも……。
「何年か前に分娩後の母牛が腎臓病になってしまって、獣医にもうダメだと言われたんです。このまま牛舎で最期を迎えさせるか、放牧で育っているから外がいいか、真剣に考えた。真冬だったので、外に出せば間違いなく今夜にも死んでしまう。それで牛に聞いてみたら、外に出たがってると感じたんです。明日は会えないという覚悟で一緒に記念撮影したりして、外に出しました。翌朝、雪まみれで横たわっている姿を思いながら行ってみたら、嘘みたいに元気になってて。自分も搾ってもらおうと牛舎にまで入ってきたんです。不思議だけど、分娩で牛舎に入りっぱなしだったストレスもあったんだと思う。外に出たいよってメッセージをくれたから助かった。やっぱり放牧ってすごいなと思いました」
日常に起こるそんなさまざまな出来事を経験できるのも、うちで働くメリットかなと山本さん。平均4年ほどといわれる乳牛の寿命も、ここではその倍の命をまっとうしています。
新しいことに挑戦するための仲間がほしい!
「酪農の自然な景色を見てみたい」という思いで牛の命と向き合ってきた山本さんは、今もさまざまなことに挑戦を続けています。必須ではないと思っていた有機JAS認証も酪農の未来を考え取得しました。「オーガニックに対しても新しいことを取り入れたい。いろいろ試している時期なので、僕自身も牛舎の仕事にまた一緒に関わりたいと思っています」と話します。
「うちの牛乳はすっきりして切れ味がいいと思ってるんだけど、それはよく『摩周の水』といわれてるような、長い時間をかけて磨かれた養老牛の水がいいからっていう部分もあると思う。自然の産物だから、自然に近い飼い方をすることによっていい牛乳ができるだろうなと考えていて。これからは土づくりも新しいことをしていきたい」
限られた広さの牧場の自然エネルギーを余すことなく循環させようと、牛の排泄物を活用しきれていないと感じていた冬の飼育方法も少しずつ変化させています。
「近くの豊かな森の栄養は雪解け水とともに牧場へも浸透していたはずなんですけど、近年は雪の少なさから川へ流れてしまっていると感じてる。たとえば森へ行って落ち葉を集めてきて、発酵させて堆肥をつくったり、この土地のエネルギーを農地に還元するような行動もしてみたい。1人じゃできないので、そういういろんなことを同じ働き手として手伝ってくれる仲間がほしいというのが今回の求人の意味合いかな」
純粋にこの土地の力を活かし、自分の農場だけで完結するようなサイクルをつくるのが目標だと山本さんは語ります。そして酪農を通して、地域だけでなく自然を求める都会の人たちとのつながりも広めていきたい、と。「牛飼いの原点」に触れることで、人間と自然との関わり方や自分の生き方についても探ることができる。山本牧場はそんな場所でもあるのかもしれません。
<会社概要>
▼所在地
北海道標津郡中標津町養老牛200-2
▼事業内容
・酪農業
・製造業(牛乳、ソフトクリーム)
▼公式ウェブサイト
https://wildmilk.jp
▼問い合わせ先
☎0153-78-2140(山本照二)
<募集概要>
内容:牛舎での清掃、搾乳、給餌、分娩介助など牛の世話全般に携わる男性1名を募集
(未経験者可、経験者優遇)
給与:月給25万円(1年以上の経験者27万円)
※昇給有り、ボーナス年2回(経営状況など踏まえ支給)
休日:週1回+有給休暇
労働時間:1日4〜8時間で変動
福利厚生:雇用保険、厚生年金加入
住居:牧場内一戸建に居住可能(一部の部屋は牧場備品置き場として使用)
※修繕積立金として月額1万2000円必要。水道光熱費本人負担
※妻帯者、家族での移住歓迎。パートナーのパートタイム労働も紹介可能
春日明子
1979年生まれ、神奈川県横浜市出身。会社員時代に釣りに目覚め、通勤電車で読んでいた釣り新聞の編集部員募集広告に即応募、編集者となる。編集プロダクションに転職後、旅行雑誌やコーヒー専門誌、機内誌を中心に編集・執筆活動をしながら休日は東京湾で釣りに励む。ついには鮭釣りに訪れた北海道で人生の伴侶を釣り上げ、2016年に別海町へ移住。甲斐犬と暮らしながら酪農地帯の真ん中で原稿を書く。