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【若者を応援する新しいコミュニティDOTO-NETリリースイベント】SESSION2  応援したい道東ミドル集合! 「DOTO-NET」を活用した30代の自己実現

一般社団法人ドット道東(以下、ドット道東)は、2023年11月25日(土)に若者を応援する新しいコミュニティ「DOTO-NET」をリリースしました。ここでは、リリース当日に北海道釧路市の港まちベース946BANYAで行われたイベントの様子をお届けします。

DOTO-NET」とは、ドット道東が培ってきた多様なネットワークをもとに、道東カンパニー(道東を拠点とする企業様)・道東ミドル(30代以上の方々)とともに、29歳以下の道東にゆかりのある「道東ヤング」を全力で応援していくコミュニティです。

今回は、ミドル世代の道東との関わりやDOTO-NETへの期待についてのトークセッションを全文掲載します。

登壇者

名塚ちひろ/ドット道東
絹張蝦夷丸/キヌバリコーヒー Earth Friends Camp代表 ライター フォトグラファー
那須野達也/コピーライター
熊谷由美/ドット道東

応援したい道東ミドル集合!

名塚 ミドルのセッションをはじめさせていただきます。こちらは30代以降のセッションなのですが、このセッションは肩の力を抜いて聞いていただければと思いますので、どんどん食べたり飲んだりしながらお聞きください。

左から、熊谷さん、那須野さん、絹張さん、ドット道東の名塚

改めてまして今回ファシリテーターを務めさせていただきます、 名塚と申します。釧路市出身、釧路市在住、7年前に東京から釧路に戻ってきましたドット道東には設立時から入っております。 

絹張 絹張蝦夷丸です。オホーツクは湧別町の出身で、今は上川町で、Earth Friends Campっていうまちづくりの会社と、キヌバリコーヒーというコーヒー屋をやっております。
ドット道東とは、設立前の道東誘致大作戦の頃から一緒にいろいろやらせてもらったりとかしていて、ずっと見させていただいておりました。

名塚 では続いて那須野さん、我々はナスティーと呼んでおります。

那須野 那須野達也といいます。十勝の清水町出身で、人口1万人に対して牛が3万頭いる町。これ言うと東京ではウケるんですよ。道東だとウケないね(笑)。
高校で札幌へ、大学で東京へ出てて、そのまま東京で就職して、いま広告代理店で働いています。今日は東京から見た道東についても話せたらなと思います。

熊谷 熊谷由美と申します。北見市に住んでいて、ドット道東の会計のお手伝いを半年ほどしています。普段は会社員もしています。

道東ミドルの20代

名塚 皆さん、いま30代ですがどんな20代を過ごしてました?ターニングポイントになったことですとか、20代の頃、どんな30代、40代になりたかったか、というところを聞けたらなと思うんですが、由美ちゃんから聞こうかな。

熊谷 私は栄養士になる大学を卒業しまして、そのまま22歳のときに委託給食の会社に栄養士として就職したんですけど。その最初の赴任地が道東で、小清水町でした。そのとき、たまたま両親が網走市という小清水町からすごく近い町に住んでいて。

名塚 由美ちゃんのご両親は転勤族だったんですよね。

熊谷 そうなんです。生まれが稚内なんですけど稚内にはほぼ住まず、道内を転々として。中高時代は斜里町に住んでいたのですが、道東と初めて関わったのが、そのタイミング。
そんな背景もあり、出身地や地元ともまたちょっと違うんですけど、人生のなかで時々道東が出てくるっていう人生を歩んでいましたね。20代の頃、家業を手伝っている夫と出会いまして、彼のいる北見市で暮らすことになるのが、20代最後の大きなイベント。
私は小さい頃から転々としてたんで、同じところに長い間住んだことがなかったんです。5年が最長ぐらいで、常に3〜4年おきに引っ越していたので、「ずっと北見に暮らすってどうなるんだ……?」って予想がつきませんでした。北見に住んで3年くらい過ぎたとき、「引っ越しないんだ!?」って戸惑いましたね。

名塚 なるほどなるほど。では、ドット道東との繋がりは次の質問にしときましょうかね。 次は蝦夷丸さん。

絹張 いやもう、本当にしょうもない20代を過ごしたんですけど、僕も大学に入ってからは学校も行かないでバイトして飲みに行って、長期休みでは旅に出て、みたいなのをしてましたね。

那須野 めちゃくちゃ大学生。すごく気持ちいい。

名塚 ゲストハウスにいるような感じの大学生ですね。

絹張 そうですね。それこそ、ゲストハウスで働いたりもしてて。卒業後、そのままゲスハウスの立ち上げをして、 そこで働いてたんですけど、何したらいいのかわかんないモヤモヤがずっとあって。
それこそ大学生時代から地域のこと、湧別のこと、なんかやりてえって思ってたけど、何も動き出せないまま大学生が終わって、社会人になって、みたいな。

名塚 なんで湧別のことをやりたいって思っていたんですか?

絹張 地元がすごく好きだからっていうのもありますね。
あと、ニュースとかで見る地方の人口が減少してて消滅みたいな話から、湧別もいつかなくなっちゃうんだって思ったときに、自分が地元のためにできることないのかなとか思って動き出そうと思ったけど、結局何もできないまま終わったんです。

名塚 なるほど。そのあと創業するEFCは、そんな思いを抱いていた湧別からスタートしてるわけではないんですもんね。

絹張 EFCは札幌拠点で、札幌近郊の自然のなかで遊ぶイベントを主催する団体として始まったんですけど、湧別で年1回、2泊3日のキャンプのイベントやったりとかはしてましたね。

名塚 なるほど。こういう30〜40代になりたいという理想はありました?

絹張 全然ないですね。

名塚 今、すごいじゃないですか。会社の代表にもなって、お店もやって、結婚して子供もいる。

絹張 いやね、実際ほんと結構ギリギリでやってるんで。
でも、それこそ僕は20代のときに、道東誘致大作戦とかドット道東を入り口にして、「こういうふうにやってけばいいのか」ということを教えてもらった感覚がありますね。

名塚 へー!どういう感じのことですか。

絹張 僕、自分が田舎出身だから、田舎のことわかってるってずっと思ってたんですけど、高校進学から札幌行ってたんで、全然田舎のことわかってなくて。 自分も田舎に行けばなんか役に立てるってずっと思い込んでたんですよね。

那須野 わかる~。

絹張 わかります?

名塚 わかる。

絹張 いざ20代の終わり、29歳のときに上川町に移住しました。人口3000人ぐらいしかいない田舎の町なんですけど、行ってみたらもう自分ができることなんもねえみたいな。 
そういうときに、中西拓郎くんだったりとか、はらちゃんっていう北海道の遠別町にいる先輩とかに相談してました。
地域に入ってすでにいろいろとやっている人たちに相談して、自分のやりたいこととか、役に立とうと思うことは大事だけど、自分のやりたいことをやるよりも、相手が何を求めてるかなんだよということをたくさん教えてもらって。それをまずやんなきゃいけないのか、ということを感じた20代の終わりでしたね。

名塚 いい出会いだったんですね。

絹張 めちゃくちゃいい出会いでしたね。

名塚 出会いについては、この後さらに深掘っていこうと思います。ナスティーも中学卒業から札幌に行ったということですけど、それこそエリートな20代を過ごしたんじゃないかなって感じがしますが。

那須野 僕は、自分のことを「天才だ!」と思っていた20代だったんだなと思って。僕はずっと野球をやっていて、20歳になった瞬間は野球をやめたときだったんですよ。もう野球選手になれないなって思った年でした。野球でもう飯食ってけないなと思って。
ずっと思っていたことではあったんですが、そうなったら「好きなことしてお金稼ぎたい」って思いました。それで、お金を稼ぐんだったら、やっぱ人よりも稼ぎたくて。当時は、それこそもう大起業ブームというか。僕らの世代って堀江さんとか家入さんとかもそうですけど、いろんなITバブルみたいな流れがあるなかで「俺もああいう人たちになれる」と思ってて。だから30、40代って言ったら、もうめちゃくちゃ金稼いでる。六本木ヒルズに住んでるとか、絵に描いたようなビジョンだったわけです。
20代前半、「お前ら見とけよ」という、そのノリで大学を卒業すると、だいたい1年目で終わるわけですよ。 当時営業だったんですけど、売れないし、自分が馬鹿にしてた先輩たちの方が仕事できるわけじゃないですか。「うわ、きっつ」って思って、それをずっと修正して過ごした20代だったなっていう。だから、思い描いてた30歳になった瞬間、今でも覚えてますけど、「うわ、なんか思い描いてたとことは全然違うとこ来たな」みたいな。

名塚 それはいい意味で?

那須野 どっちとも言えない。想像もしてなかったことも半分あるし、叶えたかったことが叶わないことも半分あるみたいな感じでしたね。道東には戻る気はまったくなくて、20代のときから今も、住もうとかは全然思ってなくてっていう感じでしたね。

名塚 なるほど。三者三様っていう感じで。 
ちなみに私はどっちかというと、ナスティーに近い。別に天才だって全然思ってなかったんですけど2人にも結構近いかな。私は東京で当時働いていて、釧路に戻れば何か役に立てるって思っていました。
いま思えばすごく恥ずかしいんだけど、スキルもあるしって戻ってきたら、やっぱり私の仕事のやり方とかは、全然通用しなくてやり方が違って、出鼻をくじかれたような、そんな1年目だったなっていうのを思っていました。

ドット道東に関わり始めたきっかけ

名塚 さて、そんな皆さんがドット道東に関わったきっかけですが。ドット道東に関わり始めたのがどういうきっかけだったのかということを、由美ちゃんから聞きたいなと思います。

絹張 めっちゃ気になってました。

熊谷 結婚をして北見に来て、ずっと引っ越しを続けてきた人生なのに、 急に北見に長く住む可能性が高くなったわけですよ。
当然知り合いもいないし、家族も友達もいなくて。夫の会社も家族だけでやってる会社なんです。会社に行っても家族しかいない、家はもちろん家族しかいない、知り合いがいないってなったときに、めちゃくちゃ不安になっちゃって、ここで楽しく暮らせるんだろうかと思いました。
引っ越しをした場所でなんとかやっていくことはできるんですが、そこを封じられちゃって、どうしようって思ったときに、たぶん、Twitter(現X)とかで、ドット道東が盛り上がってるのを見たんですよね。当時はガイドブックが出た頃ぐらいで、そのガイドブックをBASEのショップで買って、ドット道東と出会いました。

名塚 一読者として。

熊谷 そう。そのときのガイドブックのクラウドファンディングは支援もしてなくて、もう発売されて結構経ってて。

名塚 でも、由美ちゃんは最初からドット道東のポストに反応をしてくれてたりとか、 SNS上ではすごく積極的になんか関わってくれてるイメージがあったんですけど。

熊谷 ガイドブックを読んで、印象的だったのが、蝦夷丸さんの「THE DAY」っていうページですね。「THE DAY」っていうページを見て、その感想を呟いたんです。そのときにすごく反応があったんです。

名塚 ドット道東の担当者が、光の速さでリツイートしたんでしょうね、きっとね。

熊谷 届くんだ、届くもんなんだなっていうのは、全然知り合いもいないなかですごく嬉しかったです。 本当に。
「こういう感想とかを言っても迷惑じゃないんだな」って思ってもらえるのって、友達がいない北見にいる人間としては嬉しい。良かったって思ったのは覚えてます。

那須野 すごい。「DOTO-NET」だ。

絹張 これが「DOTO-NET」ですよ。

名塚 そのあと、ビジョンブックの制作リターンを由美ちゃんが支援してくれて。ビジョンブックには1000人の理想を掲載してるんですけど、その1000人集めるというプロジェクトのキーパーソンとして由美ちゃんが動いてくれて、私たちもコミュニケーションの時間が増えたかなって思ってます。

熊谷由美さん、ドット道東の野澤が中心となって集めた「1000人の理想」をもとにした道東の未来をイメージしたページ。コピーは那須野達也さんが担当

絹張 制作中のSlackで、毎日由美さんが「今日何人の理想が集まりました!」っていうのを毎日やってくれてました。

名塚 由美ちゃん自身を知らなくても、熊谷由美って名前はめっちゃ見てるみたいな。

那須野 あとは、俺の記事もめっちゃ校正してもらってる。

名塚 ナスティーも「ぼくの幼馴染。」というページを書いてくれてるんですけど、文字校正を由美ちゃんがチェックしてくれています。

那須野さんが執筆を担当した「ぼくの幼馴染。」

制作リターンを支援してから「.doto vol.2」の制作をがっつりやるようになって。どうしていまの関係性になったんですか?

熊谷 ガイドブックを読んでから、時々感想や書いてあるお店に行きましたということを、ちょっとずつツイートしてたら、毎回光の速さでリツイートしてくれて。
そういうのを続けてたときに、ドット道東が次にビジョンブックを作りますって発信をしていて、クラウドファンディングで制作リターンを入れたんですけど。
元々ドット道東とTwitter上とはいえコミュニケーションを取っていたからなのか、関わり始めたときに野澤さんから「こういうこと、やってみませんか」という連絡をいただいて「1000人の理想」に関わることになったんですよね。
私自身特別なスキルがあるわけじゃないので、デザインをしたり写真を撮ったりといったことができないので、経過報告ならできるんじゃないかって思ってくれたと思うんですけど。日々コツコツとプレッシャーを皆さんにかけ続ける1年を過ごしていました。
やっているうちに「文字校正もやってみませんか」と声をかけてもらって「やったことないけど、やってみます」って校正もやるようになりました。
それでいよいよビジョンブックができて、これでもう関わりが終わるのは寂しいなと思っていたところに、また野澤さんが「会計をやってみませんか」と。
それには理由がありまして、私、家族で会社をやってるって言ったと思うんですけど、小さいが故にすごくアナログな会計処理をしてまして。そこで「ちょっとデジタル処理の会計を勉強してみないかい」って、声をかけていただいて。いままでの関わり方とプラスアルファで、そういうことをやらせてもらうことになりました。

名塚 由美ちゃんにはいま、バックオフィス全般や文字校正をやってもらっています。
私とか中西は10回読んでも抜けるんですよ。というわけで、ドット道東が紙とかウェブとかで記事を出すときに、毎回由美ちゃんに文字校正を頼んでやってもらってる。本当にいまドット道東では欠かせない存在になってます。

ドット道東ってよくクリエイティブ集団とか言われるんですけど、クリエイティブやってる人は確かに多いんだけど、だからって、それ以外の人が関われないかっていうと、全くそういうわけではなくて。
我々もすごく能力がでこぼこなので、みんなの力を少しずつ借りて、進めていってるんですね。「関わりたいんです」って言ってくれた人には、その方がやってみたいことや得意なことをお願いしてるんです。なので皆さん、ちょっとでも気になったら、本当に気軽に声を掛けていただきたいなと思っております。

では、続いて蝦夷丸さん。2018年の道東誘致大作戦のときから。

那須野 初期メンだ。古参。

絹張 古参です。道東誘致大作戦のリリースを見て、これはすごいことが起こるぞみたいな。しかもこれは、この一発のイベントじゃなくて、今後道東が面白い感じになってきそうだっていうことをすごく感じちゃって。

学生時代に自分が道東や湧別に帰って何かやりたいと思ったときに、仲間が見つけられなかったとか、一緒に取り組んでくれる人が見つけられなかったことがあって。ある意味そういう挫折みたいなのがあったんで、道東誘致大作戦が始まったとき、「これからはこの人たちが道東にいるんだ!」と思ったんですよ。道東中から集まったこの人たちがいるんだと思って、これからすごく面白くなるぞって思ってた。

そこからはなんとかして道東に帰って、自分でお店始めたり、道東で何かできないかなって考えて動いたりとかもしてたんすけど、そのドット道東が法人になるタイミングと結構タッチの差で、僕が上川の移住を決めてしまって。
なのでドット道東としては、「.doto vol.1」で「THE DAY」っていう記事書かせてもらったことからですね。

名塚 蝦夷丸は無茶ぶりな日程でも来てくれるキャラで。
それこそ道東誘致大作戦やその後の脳天直撃学校祭は、まだ札幌のゲストハウスで勤めてるときだったんで、「来れないだろうけど声をかけよう」ってことで連絡したら、夜中に到着して、飲み会のほんと終わりぐらいに顔出す。でも絶対顔は出すみたいな、そんな参加の仕方をしてくれてました。

絹張 それこそ由美さんと一緒ですよ。僕も別に特別できることがあったわけじゃないんで、とにかく呼ばれたところにいるっていうことしかできなかったんですよ。呼ばれたらとにかく行って、そこにいるっていうことしかできなかった。

道東誘致大作戦にて。当時絹張さんは札幌から参加

名塚 それもなかなかできないよね。でも、自分ができるのはそれだと。

絹張 それしかない。ただ、いる。いつもいる。

名塚 正直私は「蝦夷丸が道東にいてくれたら良かったな」という風に一緒に道東にいる未来を望んだことがあったんですけど。
蝦夷丸は蝦夷丸で、上川は上川で、仲間作りとか場作りとかをどんどんやっていて、結果的にそれがすごく良かったなと思っていて。ちょっと離れた場所で、厳密には道東ではない場所で、同じように頑張ってる仲間がいるから、愚痴も言い合えるし励まし合えるし、エンパワーメントし合える仲間が外にいることがめっちゃいいと思っていて。だから、道東じゃないことは、全然悪くない。

絹張 嬉しい。よかった。間違ってなかった。

名塚 ゆるく繋がっていたいだけで、道東の各町のアイデンティティを無くしたいわけじゃないのと一緒で、上川は道東ではないんですけど、蝦夷丸に対して同士みたいな気持ちで、初期からドット道東を一緒に作ってくれてるんです。
では、ナスティー。ナスティーは2019年のリトルドートーっていう東京でやったイベントがきっかけですよね。

那須野 その前に一般社団法人ドット道東できたよっていうの見てて「なんだこれ」と思って、ガイドブックのクラファンを見て制作リターンを支援して、リトルドートーというイベントが東京で開催されていて参加して、ガイドブックとビジョンブックを一緒に作って……みたいな流れですね。

名塚 ガイドブックやビジョンブックを読んだ方、最初にコピーが書かれていると思うんですが、それはナスティーの担当です。なんで制作リターンを支援してくれたんですか?

那須野 調子に乗ってる20代を過ごしてきたので、そろそろ中盤、後半差しかかったぐらいで、やっぱりそろそろ地元で何かやるかという気持ちもあったし、もう一方の側面で、地元へのモチベーションも理由としてありました。
僕は高校から実家を出てるので、地元を離れてから10年ぐらい経ったわけです。帰省すると、「あれ、俺、親に会ったり、中学の同級生と小学校の時の幼馴染と会うだけって、 めちゃくちゃ帰るモチベなくすな」と思って。このままだと、たぶん、3〜4年に1回とか、どんどん間隔が長くなっていくなって。
それで、「ドット道東ってあるんだ、面白そう」と思って。 たとえば友達が苫小牧とかどこか地方で働いてるとすると、そこに遊びに行く理由になりますよね。だから、自分も道東に友達ほしいなって思ってて、関わっていったっていう感じですね。

道東での仕事を経た変化

名塚 そこで東京の仕事のやり方と道東の仕事のやり方が違うなとは思いませんでした?

那須野 めちゃくちゃ思いました。さっきも言ったように何にもできない。でも、本当に俺、めっちゃできると思ってる(笑)。でも、ガイドブックのコピーをやってても「言語」が違うんですよね。
まず東京で働いている広告代理店では、コピーライターとかディレクターとかの仕事って大きく職種としては一緒。ドット道東の皆さんと同じような仕事をしてるはずだし、紙のパンフレットを作るとか、WEBを作るとかっていうのも一緒なはずなのに、意識してることは全然違う。
たとえば、東京では使わない言語が使われています。「関係人口が〜」とか中西さんは普通に言いますけど、わかんないわけですよ、その当時は。「関係人口って何?」みたいな。そういうわからない言語を調べて、地方ってこうなんだっていうことを学んでいきました。そのやり取りのなかで、東京と同じやり方したらいけないなって思って、どんどん変えていったって感じですね。

中西さんとの打ち合わせのなかで、ものすごい理想論を話しちゃったことがあって。それこそ売り上げってこうじゃないですかとか、ドット道東ってこうした方がいいんじゃないですかとか言って、終わってから自分が言ったことを振り返ったときに、すっごくへこんだことがあって。「うわ、だっさ~」みたいな。「THE 東京の仕事できないコンサル」みたいなことをめちゃくちゃ言ってたなと思って。そこからかなり、「まず知る」ということを意識するようになりました。10年前の自分が知っている最後の道東の状態じゃなくて、いまはどうなってるんだろうを意識するようになったっていうのは、ありますね。

名塚 蝦夷丸、何か感じることあります?

絹張 「今の地元がどうなっているのか」を知ることはめっちゃ大事だなと思って。僕は札幌にいるときにも拓郎くんたちと一緒に、道東も含めていろんなとこ行かせてもらったりして、自分にも何かできるんだろうなってやっぱり思ってた。
でも現状をちゃんと知らないからそう思ってるだけで、実際自分がその場に身を置いてみると、全然やり方も違うし思ってたのと全然違う。

名塚 自分が思ってたようなことなんて、もう誰かが提案してて、できない理由があったりするんだよね。

那須野 恥ずかしくなるんだよ、本当に。

名塚 何年前に誰々も言ってて、やってみたけどできなかったんだと。

絹張 やってない理由がちゃんとあるんですよね。

名塚 ナスティーはドット道東と関わるようになって、どんな変化がありました?仕事面だけじゃなくて地元に帰ることに対してなど、道東への思いって変化ありましたか。

那須野 道東のいろんなとこに行きたいなと思うようになって、それこそ阿寒に家族で旅行したりとか、知床も行ったりもしましたね。
いままでだったら、札幌から入って、小樽、ニセコあたり行って、ちょっと実家寄って帰るみたいな行程ですよね。でも、いまはオホーツク紋別空港から入って、車で移動してみたいな、そういう旅行をやってみたりするようになったんで、そういう意味でプライベートはすごく面白くなった。
北海道に帰ることだったり、道東に帰るってことが、昔よりはすごく楽しくなったなっていうのがあります。

仕事で言うと、極端なんですよ。
僕が今やってるような仕事って、すごく簡単に言うと、3億の広告費投下して10億の売り上げを出すぞという仕事。そういう規模感の仕事と、道東の数百万規模のプロジェクトの違いはありますね。例えばその予算でWEBができることによって、実はこんなことがあってとか、ブランドのコンセプトがこう決まってとか、そこで関わる人たちはこうやって進んでいくんだっていう指針ができる。普段の仕事と道東の仕事で必要なことがすごく極端に分かれている。
たとえば、東京ではマーケティングの概念やカスタマージャーニーを設計してとか、CMではこういうことやって、デジタルではこういうことやりましょうということをやっていますが、道東では「これどうします?」から始まる打ち合わせからスタートしますよね。「じゃあこういうことってできそうですよね」「社員さんもやりやすそうですよね」とか、ちょっとした工夫で起こる変化を積んでいく超現場感覚と、さっきも話したような超大企業マーケティング感覚をずっと行き来をしてるからこそ、なにか接着できるんじゃないかなという感覚はある。この2つが繋がるようになってくると、わりと自分の中での仕事がもう1個上に進めるかなっていう気持ちがありますね。ちょっと頭のいいこと言ったでしょう(笑)。

名塚 仕事できそうな感じがね。

絹張 半分ぐらいわからなかった。

熊谷 途中からよくわかんなくなっちゃった。

名塚(笑)。
やっぱり大手の広告代理店のシティプロモーションのやり方で、お金を投下して1発すごいものをつくってバズらせようみたいなのも近いですよね。
一方で、私たちはお金の規模だけで言うと安いわけです。ただ、ずっと長く続くものを作ってる感覚。たとえばパンフレット作ると、毎年作り替えるようなものじゃないので、この先10年間使うものだったり、WEBにしても責任感がすごくある。
私がいつもドット道東で受ける仕事で大事にしてるのは、クライアントが成果物を家族に自慢したくなるかどうかだったり、自分の友達に自慢したくなるかだったり、東京の人にわかってもらうっていうよりは、自分の身の周りの人に、「あなたいい会社に勤めてるんだね」とか、「すごくいいことやってるんだね」って思ってもらうことですね。
そこは忘れちゃいけないなと思いながら仕事をしていて。それが東京で仕事をしてる感覚と全然違うなっていうのを、私はすごく感じます。

那須野 すごくわかります。道東の仕事ね、難しいんですよ。変なことできないです、ドット道東の仕事。

絹張 家族とか近い人に自慢したくなるっていう感覚、すげえわかるんですよね。
僕、逆に東京で働いたことないし、大企業の仕事の仕方とかもわからないんですけど、ガイドブックの制作を一緒にやらせてもらって、それを僕の奥さんの両親とか親戚の人に見せたとき、やっと自分これやりましたって見せれるものができたなって思ったんですよ。
それまではゲストハウスっていうわけわからない仕事してるって思われてて……あ、「当時は」という意味です。親世代にしてみれば、あんまりわからない仕事だったと思うんで、変なやつだって思われてたんですよ。
そんなときに「この道東のガイドブック、僕も一緒に作ったんだ」って伝えて、初めて奥さんの親戚や自分の親に見せられて、めっちゃ嬉しかったです。

名塚 いい話だ。私の父親は、発行当時大学の教授をやってたんですけど、授業の教科書にしてくれました。めっちゃ依怙贔屓なんだけど(笑)。
由美ちゃんに聞きたいんですが、由美ちゃんはいわゆるクリエイティブ職ではないですよね。特別なスキルを持っていない人が地域と関わっていくには、何が必要だと感じてますか。 

熊谷 ちょっと話が違っちゃうかもしれないんですが……。
私は道東に知り合いがいないから関わり始めたんですが、関わっているうちに「はじめまして」「こんにちは」って言える人がすごく増えて。
「Twitter上では見たことがあります」とか「このプロジェクトで名前だけ見たことあります」っていう方がすごく増えて。もちろん仲がいいわけではないんですけど、「はじめまして」「こんにちは」「お久しぶりです」って言える人が増えたのが、すごく嬉しかった。

それから、応援するハードルがすごい下がったなと思って。
野球のチームを応援するとかは応援しやすいじゃないですか。日本代表とかって応援しやすいんですけど、 たとえば個人店を応援するとかって、ちょっと照れくさいというか、応援しづらい。でも、ドット道東と関わるようになってから、住んでいる地域が違ったりなかなか行けない地域の人でも応援していいんだって思えるようになったんですよね。「応援する」って、スキルはいらないんですよ。
例えば何かを始めるときに、別に常連さんからじゃなくても特別熱い思いを持っている人からじゃなくても、「応援してます」っていう人がいるだけで「誰も見てないんだ」って始めるよりはいいんじゃないのかなって思っていて。だから、SNSでそのお店や場所について発信するとか感想を言うのも「良かったです!」みたいな小学生でも書けることばかりなんです。
だけどそういう「見てるよ」というサインを発信することからでも、地域に関われるんじゃないかなって思いました。

名塚 その視点はすごくいい。私にも足りてないところかもしれない。

那須野 私にも足りてない。

熊谷 そして、その応援をちゃんと肯定してくれる環境があるんですよね。

絹張 一緒にいいねって言い合える人たちがいるっていうの、めっちゃ大事ですよね。

那須野 確かに。ドット道東のSNSってすごくポジティブ。あったかい。 ビクビクしてない。
そういうコミュニティを運営する人とかって、普通は「炎上したらどうしよう」とか、「このリリースよくわかんないよ」って書かれちゃったら、火がつきやすいじゃないですか。そういうのが全然ないなって確かに思ったことがあって。 
みんながいいねしてくれたり、「良かったです」っていう言葉もそうで、誰かがもう肯定してくれてると、すごいエネルギーになるんだなっていうの、いま聞いてて思いましたね。

名塚 なんでそんなポジティブなんだろうね。

那須野 やっぱり現場主義というか、たぶん、拓郎さんとかが3時間かけて移動して会って……。
そんな人に面と向かってなんも言えないじゃないですか。なんも言えないっていうのは、良くも悪くも本人に言えばいいじゃんって思ってる人も多いだろうし、「あれどうなん?」とかって別に連絡取り合えるんだからいいし、SNSで見たら応援しようってなるっていうのが、やっぱ現場主義なんだなっていう感じはありますよね。

名塚 道東のことは一番知ってるって思うから、だから、ガヤがあっても私の方が知ってるっていう気持ちがある。(ガヤに対して)否定的ではないというか、 それも含めて道東だからみたいな。そういうポジティブさというか、もう、どうしようもないから受け入れてるみたいな。それが全然ネガティブな意味でもないなっていうのを、聞きながら思ってましたね。

熊谷 あと、これもあります。「何かやることありますか」って言ったら、 みんなが何か見つけてきてくれるみたいなのが道東の文化だと思っていて、「わかんないんですけど、何かできます?」って言ったら、「こんなのあるけどどうかな」っていうのを皆さんそれぞれ持ってるんですよね。ちひろさんが持ってるもの、拓郎くんが持ってるもの、野澤さんが持ってるもの、小松さんが持ってるものがある。それぞれが見繕ってくれるので、自分は何も持ってないって思っていても、別にすごいことを頼まれるわけじゃないんです、全然。

実は私が絵が上手かったみたいな、そんな話はないんですけど、もうちょっと細かい、毎日続けることならできたみたいな、そういうレベルでできることを探してきてくれる。「何も持ってないんですけど」って言っても、「じゃあやらなくていいです」じゃなくて、「じゃあ会場設営で机運ぼう」みたいな。

名塚 「やりたい」っていう人に繋ぎ止めとく何かをしなきゃみたいな 気持ちはすごくありますね。もちろんうまくいかないこともあるんですけど。でも、暇にさせちゃいけないというか。手持ち無沙汰にしないようにみたいなのは、やろうとしてるところではありますね。ここがね、なかなか難しかったりするんですけど。 
でもさっきも受付で起こったことなんですけど。今日はオンラインを含めて130人ぐらい参加してて、私はそれを紙にプリントアウトして、「はい、参加者名簿」って渡したら、シゲ(野澤)が、「ちょっとこれじゃ探せないからネット上でやって」って。で、ネット上でやろうとしたら「2次会と懇親会の出欠も追加で取って」ってことになり、由美ちゃんが「どうしたらいいの!?」みたいな。

熊谷 そう私、スプレッドシート使うのが苦手なんですよ。

名塚 それで、東京から来てくれていて、ドット道東の週報を手伝ってくれてるみまちゃんっていう方がいるんです。その様子を見て、みまちゃんが「CSVで落とせます」みたいな。「CSVで落としたら、チェックボックス作って」って指示出していて、それを受けてわかなちゃんっていうもう1人の受付の子も作業して。私が次に受付に戻ったら、「オンラインにあげて、スプレットシートにして、同時で編集できるようにしときましたから」みたいな。私はさ、CSVって聞いた時点で、「全部イラレで作っちゃダメ?」みたいな。それで、本当に向き不向きの組み合わせで、物事ってうまく進むんだなって。たぶん私があそこにいたら、イラレで全部作ろうとしてたなと思って。

熊谷 私だったら紙で全部乗り切ろうとしてます。

名塚 今日の受付は、普段からドット道東に関わってくれてる3人が受付をやってくれてるんですよ。今日はそんないいメンツがいるので、みんな受付行ったら、CSVの人かなって思ってください。

ミドルはヤングをどう応援する?

名塚 我々、ミドルじゃないですか。忘れちゃいけないのは我々ミドルなわけですよ。ミドル同士ももちろん励まし合ったりとか我々自身も夢を叶える立場ではあるんですが、このDOTO-NETにおいて大事なのはヤングを応援することだと。じゃあ皆さんどうヤングを応援したいと考えてるかというのを話していきたいなと。

先ほどヤングのセッションもありましたが、ミドル+というのは年間6000円のお金を払っていただくプランなんですけど、それを払うだけでも応援にはなるんです。それも応援の1つだともちろん思うんです。でもほら、いろいろとやってきた3人じゃない?あるでしょ?何か

那須野 あるよ。あるある。

名塚 または、どんなヤングを応援したいかとか、どんなヤングが出てきたらすごく嬉しいだとか。

絹張 僕はそれで言うと、今日1人、ヤングを連れてきてるんですけど。キヌバリコーヒーでいま働いてくれてるほたるちゃんっていう札幌の大学生の女の子なんですけど、釧路市のインターンにも参加してくれたみたいで。

キヌバリコーヒーのお手伝いをするほたるさん

名塚 そう、今年の夏にドット道東が釧路市さんと一緒にやったインターンシップにも参加してくれて。 ほたるを連れてきてくれてありがとう。

絹張 いやいや、全然。そういう機会を提供するとか一緒に連れて行くとかっていうことは積極的にしていきたいなとは思いますね。それこそドット道東がそういうことをしてくれてたなって思ってるんで。今度は自分ができる範囲でヤングたちにできたらいいなと。

名塚 それ、ヤングは「連れてってください」って言えばいいの?

絹張 ほたるは「連れてってください」って言える人で、これでもっと言いやすくなるってことじゃないですか。ほたるはいきなり見ず知らずの僕にXのDMで、「イベントのお手伝いさせてください」って送ってきたんですよ。 それができる子ってそんなに多くないなって思うんですよね。DOTO-NETがあると、それが気軽にもっとできるようになるっていうことじゃないですか。

名塚 ヤングは登録しておけば、「イベントも連れてくよ」とか「相乗りしてこう」みたいな感じで言えるってことよね。

絹張 そうそう。今日、一番前の席にいるりんちゃん(ドット道東インターン生。札幌在住の大学生)とかも今日会場に来るために、「誰か札幌から乗せてってくれませんか」って言ってたのがDOTO-NETを使えば、そういうのもやりやすくなるってことですよね、きっと。

名塚 あとね、こういうゲストが来るんで、一緒に周りましょうとかね。我々も声かければ、DOTO-NETのヤングたちと同行できたりっていう可能性も今後あるのかなと思ってますね。

那須野 そうですね。いろんなことを知るハードルが下がるのが「DOTO-NET」で。「DOTO-NET」に期待するヤングに意識してほしいことは、やっぱ最後はね、自分に勝たなきゃいけないと思ってて。全員、たぶんここにいる人たちは何かしらの孤独を抱えてると思うんですよ。20代で戦ってきてて、 もうたぶん、 どんなタイムマシンがあって、あのときああしとけばよかったって思ってるけど、あのときに戻りたくないんですよ、絶対に。
っていうような、すごくもう苦しい経験をしてるから、「できることないですか」が言えるし、応援ができるし、自分でこういうことやりたいなって思ったときに、「やりたいです」って言える強さになると思ってて。
最後に自分で何かやるときには1人で立つんだよね。それで、自立していったら後ろから押してくれると思うんですよね、「DOTO-NET」って。拓郎さんのnoteを読んでて、「自分でフリーペーパー(『1988』)作ってて、もう何書いたか覚えてねえページある」みたいなことを言っていて、生々しいけどわかるなって思ってて。ああいう強さが、これから人口が減っていく道東にも必要だと思ってて。それができれば、どんどん面白くなってくんじゃないかなと思います。

熊谷 何かをやったら、全部読むし、全部見る。
全部読むし、見るから、やってみたらいいんじゃないかなって。誰かには届くから、誰も見てないんじゃないかなって思わせない。全部見る。全部読む。

名塚 力強いお言葉をいただきました。ありがとうございます。
3人とも、今日この後、終わった後の懇親会、2次会、参加しておりますので、ぜひこういうこと聞きたいなとかあればですね、皆さんこんな感じのノリなんで、積極的に話していただければと思います。
ではこれにて、ミドルのセッションを終了したいと思います。皆さん、ありがとうございました。

Photo by Kazuma Saki
Edit 屈橋毬花

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